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2007年6月

2007年6月28日 (木)

なぜ泉大津フェニックス?

  会場の説明も初めにしておきたいです。これ2年前にも書いたよな気がするのですが・・・も一回書きますね。というか、書きたい。

 3年ほど前のこと。RUSH BALLの首謀者F本Y子さんと僕は、「大阪で野外でロックが出来て芝生の会場が無いか?」と探してました。メガKobeという会場が無くなるため、野外イベントが出来る会場を探していたグリーンズの藤M優Kさんと音泉で野外イベントをやることにした僕は、ある人の紹介でお役所の方を尋ねた。

 「大阪にはロックバンドがライブが出来る野外、しかもお客さんが芝生の上で見れる会場が無いんです!」と、一方的に陳情。全国夏フェスブームの中、関西だけ適所が無かったのは当時確か。お客さん代表でもあるグリーンズの藤本優子さんと何の代表にもなれない僕が考えた「ロックが出来る野外」とは、①「音量規制が無い」②「地域の方に迷惑にならない」③「客席が芝生」④「ある程度、お客さんが来易い立地」

 ①~③は、田舎に行けばほぼ合致しますが、これと④の条件は全く正反対なのです。そして、③の芝生もなかなか無い。例えば、万博などは②~④はクリアしますが、住居が近いので音量は出せません。逆に①を求めると、④が負担になります。大前提は「一般の方に迷惑をかけない」(そう思っても、ところどころかけてしまうのですが・・・)、しかし「チケット売ってロックバンドを聴いて貰う」なら充分な音量が欲しい。

 そんな想いを二人で一生懸命伝えたら、偶然?というか、奇跡的に?というか、めぐり合ったのが泉大津フェニックスなのです。泉大津という土地に親戚も居なければ、お付き合いしたお姉ちゃんも居なかったので、フェニックスが無かったら、泉大津はまず行かなかった土地かもしれません。それが、もうこの3年、8月は住民票移してる状態です。2年やった中で、お世話になった地元の方も増えてきて。(この規模になると、そんな方達の協力無しでは絶対に成り立たないのです)街も庶民的で、だんだん愛着が沸いてきました。

 今年は、駐車場が更に整地されています。先だって下見した限りでは、客席までのお客さん歩く部分に関しても砂利だったところが一部整備されて、砂埃が少し和らぐ気がします。少しづつですが、会場の利便が増しています。手探りだった、地元のバス会社さんや、南海電鉄さんも今やすっかり慣れてらっしゃって心強いです。

 海沿いなので、夕方になると風が心地よく(強いと音は辛くなりますが・・・)夕日もキレイな場所です。

 今や僕らにとっては非常に大事な場所です。しいては関西の音楽ファンの方達にとっても大事な場所になりつつあると思います。フェニックスでこれからもイベントが出来るよう、皆さんにも愛着を持って頂ければ最高です。

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2007年6月27日 (水)

オトダマ日記開設

 ということで、HPと別にOTODAMA`07に向けて特化した日記を書くことにしました。チケット買って頂いた方の参考になるように、チケット買ってない方が買いたくなるように、来れない方にも知って貰えるようにetc・・・約2ヶ月、出来る限り書いていきたいと思います。宜しくお願いします。

まずは今更ながらですが「清水音泉ってなんやねん!」という方へ。音泉HPで「由来」について以前書いた項があるので、良かったら読んでみてください。http://onsen1.cocolog-nifty.com/blog/cat2080547/index.html

 (読んで頂いたと課程)・・・ということで、そんな僕らが3年前にイベントを始めました。世は空前の夏フェスブーム。全国到る所で毎週末はイベントが行われる、夏の音楽業界事情。そこに、無謀にも開催してしまったのが「OTODAMA」。「やりたいこと」、「知って欲しい音楽とアーティスト」、「ライブが無いと生きれないアーティストとお客さんとスタッフと年に一回集いたい!」etc・・・いてもたってもいられなくなって、はじめてしまいました。それは昨年も、今年も何も変わっていません。多分、一生変わらないと思います。

 ある人から「3年やれば結果も出るし、解ることもあるさ。逆に言うと3回はやらねばダメさ。」と言われ、とうとう3回目を迎えます。なるほど、自分を振り返っても学生のクラブ活動やアルバイトや仕事やetc・・・初志を貫いて、物事見えてくるには3年かかったことが多いです。そんな意味で、今年はある意味完結の年。イベントの存続や、はたまた「音泉」の存続も含め、結果を出さないといけないと思っています。

 一人でも多く、同じ意思を持った方々と8/25にお会い出来れば最高です。宜しくお願いします。

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