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2007年7月26日 (木)

Cocco~その②~

 「長文」になるとは思ってやしたが、あまりに長くなったので5年ごとに分けることにしました。で、その②。

 2003年の夏、彼女は久々に公の場で歌うことに、それもそれまで避けてきた沖縄で。しかも8月15日という深い意味の(特に沖縄の方にとっては)ある日に。きっかけは活動休止後に帰った沖縄で、キレイだった海のあまりの変わりように、心を痛めて始めたのが題して

 ゴミゼロ大作戦~正しい海への道のり ラブレンジャー参上~「もしも歌が届いたら 海のゴミを拾ってね」の巻10分足らずの演奏会Coccoと仲間たち 愛の大合唱(ながっ!)

 長いけど、このタイトルが全てです。「仲間」とは沖縄の子供達総勢100名以上の、吹奏楽団と合唱団。「仲間」集めに彼女は実際に数々の学校を訪問して、主旨を説明して、リハーサルをして・・・その模様はドキュメント映像「Heaven's hell」として感動的に残されています。ここでも「ここまでやんなくても・・・」が全開!全て背負ってしまう責任感が、人の心を動かす様を赤裸々に収録しています。実際、この日も見に行った僕は、それまでに見たライブの価値観を変えられてしまうことになります。場所は那覇市内の学校。申し込み制で招待された数千人のお客さんを前に、彼女はアコースティックギターを抱え、仲間とともに「Heaven's hell」を演奏しました。1曲10数分にアレンジされ、弾き語りから始まった曲は、次第に仲間達の参加により後半にクライマックスを迎えます。曲が進むにつれて、それはもう今まで見た、聴いた、どんなライブでも感じなかった、素晴らしいグルーブを奏でたのです。吹奏楽と合唱と1本のギターとCoccoの声。言うなれば全て生音。電気楽器が一切無い中で(だから良かった)。こんな奇跡的な演奏があるのか・・・と想わされる正に神がかったライブでした。実際終わった瞬間、それを実感したのか、はたまた数々の苦労を思い出してか、彼女は狂喜の声を発しています。たった10分少々ですが、それはもう何事にも変えがたい時間でした。(もち、泣き!)「ライブは曲の数では無いこと」「小手先のテクニックでも無いこと」を教えられました。本当に行って良かったと思える演奏会。以来8/15の「ゴミゼロ」はさまざまな形で続くことになります。

 その年の夏も、僕は手紙を書いていました。昨年の経緯もあって「歌える場所を作りたい」と思いつつ。ただ、その年の夏は自分でイベントを携わってなかったので、昨年実現しなかったけれどよしみでRUSH BALLのプロデューサーだった同じくグリーンズのF本さんに「今年も誘いたいこと」を了承して貰い。ただ、昨年の「絵」は僕の中でも非常に重く残っていて、逆に「彼女を困らせてしまったんではないか?」と思い悩んだのですが。しかし「船」がもし見つかっていれば・・・という想いだけで、結局手紙を書きました。その後に、前述の沖縄のライブを見て、そのあまりの「やりきった感」と「消耗度」と、実際に「仲間」は見つかったけれど「船」はまだ無いことも察して、手紙でオファーしたRUSH BALLのことは全く触れずに大阪に帰りました。

 「全く無いもの」だと決め付けていた8月の後半、RUSH BALL開催のほんの数日前に手紙が届きました。内容は「神戸(この年の開催地)で15分だけ時間をください」と。その手紙を持ってF本さんのところに大至急走り、もともとブレイクタイムだったところにシークレットで時間を割いてくれることを承諾してくれました。グリーンズさんとF本さん、そしてこの時の前後のバンドの皆さんには本当に感謝してもしきれません。そして当日、彼女はギターを抱えてはるばる神戸に来てくれたのです。たった一人で「船」を出そうとしてくれたのです。この時の曲は2週間前に沖縄で聴いた「Heaven's hell」。仲間達は居なかったけれど、少し上手くなったアコギで彼女は弾き語ってくれました。この時のことも、実は感情入り乱れて良く覚えてません(あとで思い出し泣)・・・ただ、沖縄で聴いた壮大な演奏では無く、歌詞が心に染みる究極の弾き語りだったように思えます。心斎橋の路上ライブから2年半、公の場では3年ぶりの関西でのライブでした。

 2004年は、再び絵本の出版、沖縄でイベントですがバンドでのライブ、くるり岸田君とのコラボシングル発表。

 2005年は、くるりとのユニット「SINGER SONGER」でいよいよ活動が本格的になってきます。

 そして昨年は、久々にソロ名義でアルバムと5年ぶりのツアー。「船」が見つかった証拠でした。2006年の8/15(ゴミゼロ)はツアー最終日に沖縄で初めてソロ名義で有料のコンサートを開催。沖縄と真正面から向き合って歌った瞬間でした。生涯初のアンコール(彼女は一切やらないのです)にも応えたそのコンサートは、やはり感動的でした。「その時」「その場所」でしか絶対に見れない貴重なコンサート。そこで彼女は「ひめゆり」について語りました。沖縄が抱えざるを得なかった悲劇について、沖縄人として沖縄の人に向かって発しました。会場に居た、本土から来てしまった僕はその瞬間もの凄く後悔しました。「こんなアホが座る席が1枚あるのなら、一人でも沖縄の人にこのコンサートを見て貰うべきだった」と、なんともいえない気持ちで懺悔しました。彼女が始めて沖縄に迎えられた日でした。

 それまでの活動頻度からいって、2007年は何も無いか・・・と思いきや、なんとまたアルバム、そして後半からツアーが決まりました。でも、考えると昨年の8/15の沖縄でのコンサートからずっとつながってます。新作「きらきら」は沖縄で、空き家に機材を持ち込んでレコーディング。初めての沖縄レコーディングです。沖縄人のCoccoが、初めて沖縄とともに作った作品ですから、沖縄の持つ“喜怒哀楽”を凝縮した、おそらくずっと作りたかったであろう作品のような気がします。そして「ひめゆり」と今回のアルバムも繋がってる気がします。(*映画「ひめゆり」がこの夏公開されています。一人でも多くの方が是非この映画を見て頂ければと思いますhttp://www.himeyuri.info/

 そんな活動を受けた今年、僕らのイベントにも初めて出て頂けることになりました。出番はトリです。色々考えましたが、1日の締めで「全てを包んでくれる」という意味では彼女にお願いすることでブレはありませんでした。実は先日、夏のイベントのリハーサルを少し覗かせて頂いたのですが、個人的に聴きたい曲がラインナップされていて、既に僕は勝手にアガリまくっています。関西ではバンドで、初の野外です。この10年間のいろんな出来事を思い出しながら、皆さんと一緒に客席にいたいと思います。(もち「号泣」?)

 

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