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2007年7月

2007年7月31日 (火)

アクセスについて

   アーティストの皆さんのお話しはちょっとお休みして、今日はフェニックスへのアクセスについて書いてみます。基本的な行き方はオフィシャルで確認して頂くとして、そんなこと以外のことを。何かのご参考になれば幸いです。

~電車→シャトルバス編~

 一番ご来場方法で多いのがこれですね。電車。なんていっても安いです。南海難波駅につき真ん中辺りのの レーンから出る急行に乗って頂くのが基本パターン。(京都方面からは地下鉄堺筋線の終点「天下茶屋」から乗り換えて頂くのもアリです)

 急行だと発車すること約19分で泉大津駅に到着します。意外に近いです。泉大津駅はこじんまりとしたカワイイ駅で、ホームから階段を上がるとひとつしかない2階の改札に出ます。そこを抜けて突き当たると、左手が駅の東側、右手西側がシャトルバスが出発する「ひまわり広場」。東側には「ダイエー」さん、ファーストフードや飲食店が幾つか入った「アルザ」さん、「りそな銀行」さんもあります。何か買い物や腹ごしらえをするにはこっちサイドが便利。西側に向かうと、こじんまりとしたロータリーに出て、最初の信号からまっすぐ、神社の手前左手に実に下町な商店街もあります。まっすぐ行って突き当たりを右折、しばらく行くと左手に「ひまわり広場」に着いてそこからシャトルバスが出発。ちなみにバスの当日券はココで販売しています。帰りのみ「梅田」「難波」行きは、多分前売りで売り切れるのでここでは「泉大津駅(ひまわり)~会場、往復券」(¥500)のみの販売になると思います。ちなみに駅から、このひまわりまで徒歩約10分です。(駅からタクシーは¥1000強、約10分でフェニックスに。お寝坊さんで当日あせってこられる方、ご参考まで。ただタクシーは台数そんなに無いので、ピーク時は止まってないかもです)

 バスに乗って頂いて、会場まで交通事情によりますが10分~15分でフェニックスに到着です。帰りはこの逆ですね。帰り、難波行き/梅田行きのチケットお持ちの方は結構楽チンだと思います。梅田まで約40分弱、難波まで30分がすいてる時の正味の時間かと。このバスは終演時~定員になり次第随時出発します。到着は、梅田がハービス辺り、難波が千日前の近鉄なんば駅辺りの予定ですが、これは当日の状況で変わるかもしれません。

 皆さんにお願いは、駅からひまわりまでには民家も多数あります。「ゴミのポイ捨て」、民家近くで「大きい声」を出されることはお控えくださいね。地元の方にご迷惑をおかけすることはもっとも避けたいことでもあります。ご協力、宜しくお願いします。

~車~

 これも詳しくはオフィシャルで確認ください。車はやはり便利です。(渋滞が無ければ)ちなみにうちの会社は南森町なのですが、そこから高速(環状線)に乗ってフェニックスには、空いてれば30分少々で着きます。高速代は¥700ですね。相乗りすればかなりお得かもです。しかし・・・残念ながら駐車券が¥2000します。(ちなみに駐車券やバス券は僕らの利益にはなりましぇん!・・・「ちょっと高いやんけ~!」と思われても、そこで商売はしていませんので・・・何卒ご理解ください)そいえばガソリンも最近アホほど高いですよね・・・ムムム。人数次第では一番高いアイテムになります。3~4人便乗がステキです。

 高速を降りて(南向き)、フェニックスまでは道路沿いにコンビニはありません。(当日までに急に出来てたらすいません)前もって買って来られるのがベターかもです。汐見の交差点を右折してまーーーーすぐ行くとフェニックスです。片側3車線の大きい直進道路なのですが、左側2車線を乗用車、右1車線はバスや関係車両になります。駐車場はデカイので止められた場所は良く覚えて会場に向かってください。今年の駐車場は会場と隣接していて過去フェニックスでは一番近いです。地味に楽ですね。駐車券は今日現在まだ余裕あります。

 駐車場は、開場の一部ピーク時(AM9:00~11:00)と終演後(21;00~)は若干込み合うことが予想されます。特に終演後は暗く、歩行者の方もいらっしゃるので焦らずゆっくりと出庫くださいね。

 もちろん飲酒運転は禁止です。当日は警察の方もわんさかいらっしゃいます!

~自転車、50ccバイク~

 一番安いのはこれですね。駐輪代無料です。何も言う事はありましぇん。ちなみに、FM802のディレクター・O内さんは、毎年梅田からフェニックスまで自転車で来られてます。ア○です(○ホとも言います)。しかしこれはエコいです。是非、体力と時間に余裕のあられるセレブなあなたは、チャリンコで!

 と、まぁ大きく分けてこの3つが来場手段です。あ、そいえば帰りに「お迎え」と称し、知り合いの方が車で会場にお越し頂くことは、駐停車スペースが会場付近には無いことと、一般の乗用車の方やシャトルバスの運行の妨げにもなりますので、是非辞めてくださいませ。

 そして、「おまえがお客さんならどれで行くねん!」と言われれば・・・おっさんなんで・・・「車」を選んでしまいますぅ。次点「帰りは梅田のシャトル」。梅田からチャリンコは絶対ゴメンです。

 

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2007年7月30日 (月)

Theピーズ

  「TOMOVSKY」の次はもちろん「Theピーズ」です。97年結成、数々のメンバーチェンジや活動休止もありましたが、なんと今年で結成20周年なのです。

 今回のご出演に関しての経緯はこんな感じ。6月の頭にトモさんの出演が決まった時、「トモさんが出てハルさん20周年なのに誘わないのはなんか申し訳ないなぁ・・・」「いや!でもトモさんはプレイベントでお客さんからベストアクトに選ばれて決まったのに、ハルさんがシードみたく出演して貰うのは、トモさんに申し訳ないなぁ・・・」と、双子天才ミュージシャン地球代表であられるお二人のあいだで僕は一人で悶絶していたのでした。

 そこで考えたのが「やっぱもう一つステージ作って、そこにピーズを誘おう!」そして出来たのが「露天風呂ステージ」。大浴場よりはサイズダウンするステージなので、トモさんが浮かばれる。しかし「トリ」をお願いすることでピーズにも意味が出来る。と、勝手にひとりで納得してすぐ実行。丁度、6/9に渋谷AXにて行われた20周年記念ライブにありあまる感銘を受けながら(そのレポ→http://onsen1.cocolog-nifty.com/blog/2007/week23/index.html)、そこでOKを頂き晴れて決定。多分ピーズが無かったら今年は1ステージのままでした。

 ピーズさんとお近づきになれたのはつい最近。というか、去年のOTODAMAだった。大木兄弟を同じイベントで並べる=いかに一卵性「天才」双生児かが良く解る、方程式は実はずっとやりたかったのです。しかし今年もやっちまいました。「2年連続おんなじネタはどやねん!?」というお声も解りますが、今年はそれぞれ決まるに至るストーリーがあったのです。関西で初のデカイステージに挑む弟トモさん。裏街道を歩いてきたピーズらしい露天風呂のトリ、Theピーズ。去年とは全く僕の中では意味合いが違うのです。

  今から8/25に向けて妄想してニヤニヤすることのひとつが、ピーズのライブを見ながら「ダメ人間サイコー!ダメ人間で何が悪い~!!!」とみんなで叫ぶことなのでした。そして次の20年(40周年)に向けて、ここが僕らとTheピーズの関係が始めることが出来れば最高だと思うのです。

 最期に僕はピーズのHPが大好き。http://www.thepees.com/隠れた笑いがたくさん詰まってます。「カワイク」て「シャイ」、そして「アホ」です。最近良かったのは7/20付けのハルさんのブログ。大木兄弟のイイ関係が解ります。こんなイイ関係が8/25にも見れるとイイなぁ・・・。

 

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2007年7月27日 (金)

TOMOVSKY

 歌う41歳トモフスキーさん。本名・大木トモユキさんとおっしゃいます。80代後半から、93年ぐらいまで「カステラ」というバンドをやってらっしゃいました。当時は日本音楽史上始まって以来のメチャクチャなバンドブームで、来る日も来る日も僕は現場三昧。自分の仕事以外のバンドさんは殆ど知る暇も無く、カステラのライブも実は見たことありませんでした。イコール、お仕事してなかったのですね。

 カステラ解散後、TOMOVSKYという何とも愛らしい芸名を名乗られ、最初は「宅録」から始められました。そのCDを出すレーベルの方から、ご紹介を受けて色々関西でお手伝いさせて頂くことになります。95年ぐらいのことだったような・・・。

 初期のバンド(ドラムASA-CHANG、ギター名越君、ベース佐藤さん、KEY上田君)のバンドも凄かったけれど、一番やられたのは「ひとりTOMOVSKY」。家から、椅子やTVやテーブルライトや・・・ホンマに自分の部屋そのまんま持ってきてステージに飾り、トモフワールドを全快!確か自転車も持ってきてたよーな・・・。一部が終わって緞帳(幕)が下り、2部の演奏と同時に下から幕が上がっていくと、靴~ズボン~ズボン(?長いズボンやなぁ・・・)~ズボン(どこまでいくねんズボン!)~ズボン(ええ!天井ついちゃうよ~!ズボン)~やっと上半身!そぉ、メッチャクチャ長いズボンはいて天井に吊られてギターを弾いてたのです!まるで、ユーミング(この「グ」を付けるのがミソ)並みのイリュージョン。「そこに意味はあるのか?」というのは愚の骨頂です。そしてひとりなのに「セッションします!」と言い出して、メトロノームに「メトロフスキー」と名付け妄想プレイ!二人の奏でる寸分の狂いも無いグルーブに場内大失笑!そんな客席をもろともせず「カモン!トモフスキー2号!」と叫べば、自宅で録画した自分の映像を流して微妙に間が悪い掛け合いトーク&セッション!最期は、メトロフスキーと一緒に3人(?)バンドで大演壇!この近鉄小劇場公演はサイコーでした。本人吊る為だけにわざわざホールでやってみました。どーですかお客さん!

 以降、僕らのあいだでは「この人はタダものでは無いパフォーマーだ」と一目置くことになります。

 そしてトモさんの歌は、人間の真理を常にPOPにカワイク、そして誰にでも解り易く、追求しています。僕は、そんなトモさんの歌が大好き!「うしろむきでOK!」「ガン告知はいらない」「ワルクナイヨワクナイ」「両思い」などなど、人間がみーんな感じる自分の弱くて情けない部分を「そんなことないんだよ!」と教えてくれる。外部的圧力から「なんて俺はダメなんだぁ~」と絶望の淵に居る人を「何、悩んでるんだよ~?君は何も悪いことしてないじゃん!」と教えてくれるのです。

 こんな国民的歌手は美空ひばりさん以来では無いかと個人的には思うわけです。マジメに100万枚、いやいやそんな小さくてどーする!1億2000万人に指示されるべきであると思うわけです。そのうち自民党が選挙の票集めに勧誘にくるのは間違い無いです。喜納昌吉の「花」かトモフスキーの「うしろ向きでOK」かなわけです。

 人に迷惑をかけるのが嫌いなトモさんは、あまり人を頼りません。だから所謂「所属事務所」といったものがありません。全部自分でやっています(たまに善意の音楽業界の方が愛の手を差し伸べられてます。これもステキ。)。そして人一倍スゴク気ぃ遣いです。それは、傷ついたことがある人だから出来る、人への気遣いだと思います。

 そんなトモさんはいつも自信無さげにしてますが、実はやる時はやります!

 去年、OTODAMA2日間でアンケートをとった訳では無いのですが、見聞きした話しではベストアクトはトモさんでした!これをヒントに「サイコーのライブをやって、認められた方はそれなりに報いが無いとダメなんじゃないか?」と思い、今年6月に開いた大阪城野音でのプレイベント(発掘!想う壺音泉!!)で、お客さんにベストアクトを選んで頂き優勝した方にはOTODAMA`07に出て貰おう!というストーリーを思いはせました。ヒントを頂いた、トモさんにも出演をお願いし・・・そして見事優勝!(出来レースという噂もありましたが、絶対ホント。もしもの時に、ダブルブッキングしないようスケジュール押さえさせては貰ったのもホントですが。マネージャーの人居ませんからね。念のためで)この時の本人の日記→http://www.tomovsky.com/TOMOVSKY/dialyL.htm

 晴れて、8月25日にご出演頂くわけです。でも正直、この規模のイベントのトモさんを見るのは初めてで・・・僕らも期待と不安が入り混じります。「こんな広い会場で、いつものペースで半径15mしか届かなかったらどーしよー・・・」みたいな。

 いや、でも野音の中くらい広いステージでも場内爆笑にした技量(?)と、一卵性の兄、ハルさん率いるTheピーズの20周年イベントで並み居る豪華ゲスト陣(トータス松本さん、奥田民生さん、銀杏峯田君、YO-KINGさんetc・・・)よりも、一番美味しいパフォーマンスを見せた我等がトモさん。きっと泉大津フェニックスのデカイ会場を自宅の4畳半規模に変えてくれることは間違いない!と踏んでいます。

 今、FM802で流れてるOTODAMAの宣伝スポットはトモさんに読んで頂いてます。「・・・出演は~、モンパチとかぁ・・・いろいろ。お問い合わせはしみずおんせんまで~。」・・・聞いてる人から「やる気あんのかぁ!」と言われそうな(言われたい)スポットであると同時に、いやしかし!このグダグダでダラダラなテンションに秘めたる闘志こそ!僕らとトモさんの「やる気」なのです・・・よね~トモさん!?

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2007年7月26日 (木)

Cocco~その②~

 「長文」になるとは思ってやしたが、あまりに長くなったので5年ごとに分けることにしました。で、その②。

 2003年の夏、彼女は久々に公の場で歌うことに、それもそれまで避けてきた沖縄で。しかも8月15日という深い意味の(特に沖縄の方にとっては)ある日に。きっかけは活動休止後に帰った沖縄で、キレイだった海のあまりの変わりように、心を痛めて始めたのが題して

 ゴミゼロ大作戦~正しい海への道のり ラブレンジャー参上~「もしも歌が届いたら 海のゴミを拾ってね」の巻10分足らずの演奏会Coccoと仲間たち 愛の大合唱(ながっ!)

 長いけど、このタイトルが全てです。「仲間」とは沖縄の子供達総勢100名以上の、吹奏楽団と合唱団。「仲間」集めに彼女は実際に数々の学校を訪問して、主旨を説明して、リハーサルをして・・・その模様はドキュメント映像「Heaven's hell」として感動的に残されています。ここでも「ここまでやんなくても・・・」が全開!全て背負ってしまう責任感が、人の心を動かす様を赤裸々に収録しています。実際、この日も見に行った僕は、それまでに見たライブの価値観を変えられてしまうことになります。場所は那覇市内の学校。申し込み制で招待された数千人のお客さんを前に、彼女はアコースティックギターを抱え、仲間とともに「Heaven's hell」を演奏しました。1曲10数分にアレンジされ、弾き語りから始まった曲は、次第に仲間達の参加により後半にクライマックスを迎えます。曲が進むにつれて、それはもう今まで見た、聴いた、どんなライブでも感じなかった、素晴らしいグルーブを奏でたのです。吹奏楽と合唱と1本のギターとCoccoの声。言うなれば全て生音。電気楽器が一切無い中で(だから良かった)。こんな奇跡的な演奏があるのか・・・と想わされる正に神がかったライブでした。実際終わった瞬間、それを実感したのか、はたまた数々の苦労を思い出してか、彼女は狂喜の声を発しています。たった10分少々ですが、それはもう何事にも変えがたい時間でした。(もち、泣き!)「ライブは曲の数では無いこと」「小手先のテクニックでも無いこと」を教えられました。本当に行って良かったと思える演奏会。以来8/15の「ゴミゼロ」はさまざまな形で続くことになります。

 その年の夏も、僕は手紙を書いていました。昨年の経緯もあって「歌える場所を作りたい」と思いつつ。ただ、その年の夏は自分でイベントを携わってなかったので、昨年実現しなかったけれどよしみでRUSH BALLのプロデューサーだった同じくグリーンズのF本さんに「今年も誘いたいこと」を了承して貰い。ただ、昨年の「絵」は僕の中でも非常に重く残っていて、逆に「彼女を困らせてしまったんではないか?」と思い悩んだのですが。しかし「船」がもし見つかっていれば・・・という想いだけで、結局手紙を書きました。その後に、前述の沖縄のライブを見て、そのあまりの「やりきった感」と「消耗度」と、実際に「仲間」は見つかったけれど「船」はまだ無いことも察して、手紙でオファーしたRUSH BALLのことは全く触れずに大阪に帰りました。

 「全く無いもの」だと決め付けていた8月の後半、RUSH BALL開催のほんの数日前に手紙が届きました。内容は「神戸(この年の開催地)で15分だけ時間をください」と。その手紙を持ってF本さんのところに大至急走り、もともとブレイクタイムだったところにシークレットで時間を割いてくれることを承諾してくれました。グリーンズさんとF本さん、そしてこの時の前後のバンドの皆さんには本当に感謝してもしきれません。そして当日、彼女はギターを抱えてはるばる神戸に来てくれたのです。たった一人で「船」を出そうとしてくれたのです。この時の曲は2週間前に沖縄で聴いた「Heaven's hell」。仲間達は居なかったけれど、少し上手くなったアコギで彼女は弾き語ってくれました。この時のことも、実は感情入り乱れて良く覚えてません(あとで思い出し泣)・・・ただ、沖縄で聴いた壮大な演奏では無く、歌詞が心に染みる究極の弾き語りだったように思えます。心斎橋の路上ライブから2年半、公の場では3年ぶりの関西でのライブでした。

 2004年は、再び絵本の出版、沖縄でイベントですがバンドでのライブ、くるり岸田君とのコラボシングル発表。

 2005年は、くるりとのユニット「SINGER SONGER」でいよいよ活動が本格的になってきます。

 そして昨年は、久々にソロ名義でアルバムと5年ぶりのツアー。「船」が見つかった証拠でした。2006年の8/15(ゴミゼロ)はツアー最終日に沖縄で初めてソロ名義で有料のコンサートを開催。沖縄と真正面から向き合って歌った瞬間でした。生涯初のアンコール(彼女は一切やらないのです)にも応えたそのコンサートは、やはり感動的でした。「その時」「その場所」でしか絶対に見れない貴重なコンサート。そこで彼女は「ひめゆり」について語りました。沖縄が抱えざるを得なかった悲劇について、沖縄人として沖縄の人に向かって発しました。会場に居た、本土から来てしまった僕はその瞬間もの凄く後悔しました。「こんなアホが座る席が1枚あるのなら、一人でも沖縄の人にこのコンサートを見て貰うべきだった」と、なんともいえない気持ちで懺悔しました。彼女が始めて沖縄に迎えられた日でした。

 それまでの活動頻度からいって、2007年は何も無いか・・・と思いきや、なんとまたアルバム、そして後半からツアーが決まりました。でも、考えると昨年の8/15の沖縄でのコンサートからずっとつながってます。新作「きらきら」は沖縄で、空き家に機材を持ち込んでレコーディング。初めての沖縄レコーディングです。沖縄人のCoccoが、初めて沖縄とともに作った作品ですから、沖縄の持つ“喜怒哀楽”を凝縮した、おそらくずっと作りたかったであろう作品のような気がします。そして「ひめゆり」と今回のアルバムも繋がってる気がします。(*映画「ひめゆり」がこの夏公開されています。一人でも多くの方が是非この映画を見て頂ければと思いますhttp://www.himeyuri.info/

 そんな活動を受けた今年、僕らのイベントにも初めて出て頂けることになりました。出番はトリです。色々考えましたが、1日の締めで「全てを包んでくれる」という意味では彼女にお願いすることでブレはありませんでした。実は先日、夏のイベントのリハーサルを少し覗かせて頂いたのですが、個人的に聴きたい曲がラインナップされていて、既に僕は勝手にアガリまくっています。関西ではバンドで、初の野外です。この10年間のいろんな出来事を思い出しながら、皆さんと一緒に客席にいたいと思います。(もち「号泣」?)

 

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2007年7月25日 (水)

Cocco~その①~

  今日はCocco。今回のイベントのトリです。思い入れが強すぎて、長文間違いなしです・・・。過去に音泉HPブログで書いたことと重複するところもありますが改めて。お時間許す限りお付き合いください。

 初めてライブを見たのは10年前。心斎橋クアトロのイベント。確かそれが大阪初ライブだった。ノイジーなギターにのせて「首」「カウントダウン」 と言った初期の鋭角的な部分が突出した激しい曲を髪を振り乱し裸足で歌う様に「ナニ?ナニ?」って感じで、予備知識がないまま偶然見た僕は、ただただ圧倒されたまま、刺されたまま終わってしまったのが、一方的な初めての出会いでした。

 その後大ヒットした「強く儚いものたち」 で完璧にヤられてしまいました。同じくノイズがかったギターで始まるも、キレイであたかも“虹”のような曲の展開、アブノーマルながら確信をついた歌詞。そしてなんと言っても圧倒的な歌の上手さ。それまでのCDも全部聴き返して、またたくまに僕は「おっかけ」になってしまいました。その年の年末に初めてのツアー。仕事ではまだ関われてなくて、最終日の東京に見に行ったライブで完璧に打ちのめされました。「こんなアーティストは一生出会えないかも・・・」。ちなみに、この日のライブ終わりで彼女は裸足のまま、楽屋から夜の街に消えてしまったらしいです。(仕事でこんな人に関わるのはホントは大変。僕はドMなので嫌いじゃないです)

 ベタ惚れしてしまった僕は、次の年98年のツアーから仕事として参加させて頂くという恩恵に預かります。関西は大阪厚生年金会館。言葉を借りると「うんこするのと同じように日常的などうしようもない感覚」で「自分の為に」歌わざるを得なかった彼女が、リスナーの存在と支えてくれるスタッフの存在に気付き、何かが変わったターニングポイント的なツアーになったと記憶してます。最終日の武道館は圧巻だったことも。

 その2年後、彼女は三度(みたび)ツアーに出ます。関西はクアトロと大阪城ホール。実に完成された潔いライブ。特にクアトロのライブは僕がこの仕事してきて、いまだ何本指に入る凄まじいライブでした。会場を埋め尽くした700人のお客さんと同じく、最初から最期まで全く身動きさせて貰えない、凄まじいバンドの音と曲の潜在力、パフォーマンス、声・・・こんな緊張感と出音の気持ち良さに五感が埋め尽くされるライブは、いまだ記憶に無いです。2時間弱。悲しくもないのに涙が止まらなかった。感動する演奏を目の当りにすると“鳥肌”立ちますよね?その“鳥肌”を通り越した状態が全く切れずに2時間あまり続くのです。こんな究極なライブに出くわすと、目から液体が訳もなく流れ続けることを教わりました。

 そしてこのツアーの翌年、彼女は突然活動を中止してしまいます。そのあまりも唐突な展開に途方にくれてしまい「なんで?×∞」という気持ちでいっぱい。置き土産的に発表された「焼け野が原」という曲を聞くと、いまだに泣けます。情けないけど、泣かされてばっかり。辞めた理由を直接聞いた訳ではないのですけど、あまりに感受性が激しい彼女は「やりたいこと」と「実際にやれること」のバランスがとれなくなって、それはまわりに迷惑をかけることにつながることを察知して、死ぬほど「歌いたい」とやっと思えたのに(デビュー当時には考えられない状態)も関わらず、姿を消してしまいました。自分で表現出きるように。新しい「船」を求めて行ってしまったのでした。

 しかし「嘘」が嫌いな彼女は、関西でその時点で最期のライブになった大阪城ホールで「また、くるから・・・」と言い残したまま活動中止したことに心を痛めて、なんとギターを持って大阪にひとりで突然歌いにきたのです。普通のスレた業界の感覚だと「なんだそれ!」ですが、これがCoccoなのです。でも、それはホントに突然だったので、僕らは会場を押さえている筈もなく、チケットも当然売ってる状態でもなく・・・至った結論が「路上で演奏すること」でした。人がある程度いて、演奏するのに良さげなところを求めて、夜の心斎橋を徘徊しました。なかなか良い場所が無くて、ビッグステップのベンチに座って、一般の人達と入れ替わりスケーター達が路上をわがもの顔にしだした頃、時計の針は夜の10時。焦りました。ただ演奏するだけでは無くて、そこに「意味」を残さないといけないことを考えると、ゲリラ過ぎるこの状態に途方にくれてしまいました。少なくとも「音楽ファンの人に集まって欲しい」と考えて、丁度その時間生放送しているFM802のDJ・マーキーさんの番組に、「弾き語りライブをやるのダ」メッセージを彼女が書いてFAXしました。時間は夜24:00、場所はビッグステップ北側のSOGO駐車場前。こんな本当に唐突過ぎるゲリラライブが果たしてあり得るのか・・・・。不安の極地に居ると、24:00過ぎに予想だにしない光景が。走って、自転車で、バイクで、それはもう信じられない数の人が集まってきました。逆に予想を上回る集まり方に僕はぶっちゃけプチパニック。(来てくれた人には申し訳ないですがホント「ソンビ」のようでした)ギターを抱えたCoccoのスペースを何とか作って、前の人から座って貰って円を作り、ギリギリライブが出来る状態。群集心理で写真を撮り始めるお客さん(?)に向かって本人自ら一喝すると、ザワメキが一瞬にして緊張感に変わりました。これで空気が一変しました。彼女は今日大阪に歌いに来た理由を話し出すと、路上が完璧にライブ会場に出来上がってしまいました。「自分で船を漕ぎ出すく為に」おそらく練習し始めたばかりの少し稚拙なアコギで、新曲を演奏し始めました。(なんで活動中止の人が新曲やるんだよ!・・・泣)あまりの究極な状態に・・・正直、何曲やったか覚えてません。多分、2、3曲。いつ終わるか解らない即興なので「終わって逃げ道の無いこの“ライブ会場”からどうやって逃げるか?」を考えていると、落ち着いて曲に浸ってる余裕は皆無でした。ただ、お客さん(?)は泣いてる・・・余裕は無かったけれど、それは生演奏弾き語りの限界を超える感動的なモノだったのは間違い無かったと思います。終わって大歓声の中、無理やりタクシーを捕まえて、夢中で心斎橋を後にしたことは殆ど記憶に無いです。もう必死(のパッチ)。しかし、こんなケジメの付け方って・・・普通こんなこと絶対しませんよね。でも、彼女がいかに「誠実」で「歌うことが好き」であるかが残っただけで僕は良かったような気がします。そこには数百人の人しか居なかったけれど、大阪城ホールに集まってくれた8000人に向けて、そして大阪に向けて、彼女の「想い」は残ったんじゃないかと、現場に居た僕は思いました。

 次の年、僕はRUSH BALLというイベントをグリーンズさんと共催させて頂くことになります。この心斎橋ライブの一件で「歌いたくなくて辞めたのではない」ことを確信した僕は、「餅は餅屋」の精神で機会があれば、彼女の「船」が出来てさえ居れば、お誘いしようと思い手紙を書きました。(彼女の場合、コミュニケーション手段は手紙か直接話すかの二択)返事が無い中で、もし当日急に現れても(そんな粋なこと平気でしそうでしょ?)ブレイクタイムで何とか現場処理しよう、とグリーンズのF本さんとは二人だけで話してました。開催のほんの数日前に手紙が届きました・・・おそるおそる空けてみると、まだ「船」が出来てないと。ただ「歌いたい」気持ちは心底伝わってくる、それはせつなくも希望に満ちた手紙でした(泣・・・何回泣かされとんねん)。

 そのまもなく後、彼女は「絵本」を出版します。大阪でその原画展を開くにあたり、展覧会の内装を自分で行う為(これも実に彼女らしい)、久々に会うことが出来ました(喜)。その原画の中で、ひときわ目立つ絵がありました。全く無知な僕でも圧倒される“自画像”がありました。その絵は、RUSH BALLが行われている時間に、神戸で歌ってる自分を描いた絵であることを知りました。・・・もう、なんとも言えない気持ち・・・(もちろん心の中で号泣)、それはそれは希望に満ちた、力強い絵でした。「絵」というよりは「歌」を聴いてる感覚でした。その原画展のレイアウトは、彼女が殆ど全てを手作りで徹夜で行いました。絵が解らない僕にも、思い入れを差し引いても、実に感動的な原画展でした。「こんなん誰が気付くねん!」という、得意の悪戯やドッキリもいたるところに仕掛けられ、それは「笑い」から「希望」につながる、なんか関西人が一番グッとくるテイストに溢れた空間になったと思います。「南の島の星の砂」と題されたその絵本は、彼女の沖縄に対する「愛」がつまったステキな絵本として出版されました。この時点で彼女は、まだ沖縄で歌えませんでした。愛し過ぎて、歌えなかったのです。

`97~`02の出来事・・・次回`03~`07につづく

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2007年7月24日 (火)

奥田民生さん

 今日は民生さんについて。ご存知の方も多いですが、音泉のロゴは奥田さんの筆で書いて頂きました。その理由は、音泉HP「清水音泉の由来」http://onsen1.cocolog-nifty.com/blog/cat2080547/index.htmlでご参照ください。では、以下全て主観にて。

 そうです。本人には面と向かって恥ずかしくて言えませんが、僕は民生さんが好き。「抱かれたい男ランキング」常にベスト3に入っています。(このネタ本人にも言えます!・・・どでもイっすね)

 以下、好きなとこ羅列「(絶妙に練られたり、無駄を省いてシンプルだったり、他の誰も書けそうにないetc・・・)曲」「(意味なかったり、たまに凄くあったり、語呂が良かったり、カワイかったり、泣けたり、賛同できたり、etcする)歌詞」「圧倒的に追求されたバンドサウンド」「超上手いギター」「弾き語りでも凄いところ」「がつがつしていない」「人の悪口言わない」「自分を良くも言わない、エエカッコもしない」「誰がきても態度変えない一貫性」「ちょっと人見知り」「何でも人並み以上に出来てしまう」「類稀なギャグセンス」「見てないよーで絶対見てる」「服のセンス」「“打ち上げ何食いたいっすか?”と聞けば100%“なんでもいいよぉ~”と返ってくることに見られる、まわりへの気遣い」「嘘を言わない」「ヤル時は、超人的にヤルところ」「ライブを生業(なりわい)にしてらっしゃるところ」『タバコの吸い方」「大事な人の為には一肌ぬぐ粋なところ」etc・・・

 ねっ!こんなステキだったら誰でも「抱かれたい(ハート)」と思うでしょ?

 初めてご挨拶したのはソロになってからだった。京都会館のコンサート時。いきなり会館までのタクシーで二人きりになってしまった。平常心を装いながら、もの凄く緊張して、一言二言話しかけるも話しが続かない・・・。会館について、「印象悪かったかなぁ、ダメだぁ・・・」と落ち込んでいたら、打ち上げでお酒が入ると一変。必要以上にいじって頂けて“シミケン”というアダ名を付けられた。それこそが「人見知り」と「気遣い」と「お酒好き」の表れだったことにはあとあと気付くことに。

 以来、もう10年以上のお付き合いをさせて頂いて。本当に毎回ライブに感動して感心して・・・全く下がってないのです。そして今、思うのは凄く良いポジションに居てはること。20代前半のバンドちゃんから60歳に届くかというベテランミュージシャンの方まで、民生さんのことは殆どの人が一目置いているという事実。これだけ幅広く同業者の方からリスペクトされてる人は他に居ないような気がします。それは、普段の活動が邦楽ロックの「真ん中」であり「最前線」であり「革命的」である象徴だとも思います。

 パブリックイメージとしては「だらっと楽そうにしてる」(いえ、凄く繊細です!)とか「あ、アコギの人でしょ」(いえ、エレキの人です!アコギも凄い!だけです)とか「てきとーにやってそう」(いえ、計算されてます!)というのが、知ってる人や好きな人以外のイメージなんでしょうけど、もうちょっと「やる時は一線越える」凄まじさを世間の人に解って頂きたいのが個人的な気持ちです。それが一番伝わる機会はやはり“ライブ”だと思ってます。「手紙」「CUSTOM」カバーですが「最後のニュース」などの曲で見せる凄まじいまでの気迫、「月を越えろ」のエモいギターソロ、「野ばら」「STANDARD」などのシンプルなのに飽きの来ない究極のポップス感、etc・・・・ライブでしか伝えられない要素が多分にあって、知らない人に伝えるにはやはりイベントが一番かと思い。僕ら的にも、3年目のイベントをやるに辺り“絶対外せないアーティスト”でもあるので、今回もお願いさせて頂きました。

 最近自信のバンドでは関西はご無沙汰なのと、今年の夏は西日本はここだけなのと、今年後半からデビュー20周年企画がいろいろ始まりそうなのでそのスタート的な意味合いでも・・・是非注目して頂きたいアクトなのです!

 2年前は、ライブ前後に「焼酎がないやんけぇ」と、軽く怒られたので今年は会場入りからモリモリ用意しておきます。夏のイベントは、仲良しミュージシャンの人に会えるので、民生さんに限らず出演者の皆さんも総じて楽しそうなのです。楽屋は半分飲み会の様相もありで。(ナニしにきとんねん!(笑))それはやはりステキな光景で、お客さんにも味わって欲しいのですが、物理的に無理なのでですね、その空気感だけでも客席に運びたいなぁ、と思っています。どやって運ぶかは具体的にはないのですが・・・「楽屋と客席の線が無い」とは、そんな意味だったり。

 日本で夏の野外が一番似合うかもしれない42歳!僕らも当日楽しみにしてます。 

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2007年7月23日 (月)

YO-KINGさん

 そろそろ出演者の皆さんについてざっくばらんに書いていこうと思います。「このイベントに出て頂いてる理由」やら「勝手な思い入れ」やら「期待」やら。。。

 んで、初回はキングさんの巻。

 キングさんは言わずと知れた“真心ブラザーズ”の1/2。真心が初めて大阪でライブやった時、僕は偶然にも上司の命を受け、新大阪に迎えに行ったのを覚えています。ライブ会場は「つかしん・テントイン」  というファッションモールに突如出来た中途半端な(失礼)ドーム型コンサート会場。確かタイマーズとかも出てたよーな・・・忘れましたけど、結構濃い目なロックイベントのオープニングアクトだったと思います。お二人はタクシーの中も殆ど話されず、二人でアコギ弾き語りだったので「暗い人達なのかなぁ・・・」と、暗い僕に思われていた第一印象は残念なお二人組みだったのです。(「残念なのはお前じゃ!」「はい・・・その通りです」)当時の業界諸先輩方には「“あのねのね”の再来」と訳の解らぬことを言う人が居て、かなり迷惑していたと思います。合ってるの「二人組みの男」ってとこだけですしね。お二人の歌は当初、せつない歌が多かった気がします。牧歌的で、ゆる~く、日本人的なせつなさ。この時は、その後の「王道」で「実験的」で「違いの解り過ぎるシャレの利いた」ロックな真心はぶっちゃけ想像も出来ませんでした。「どかん」みたいな曲が生まれるのも全く想像出来なかった・・・。これだから、この仕事は、アーティストの皆さんは面白い。

 その後、真心の現場を少しのあいだお手伝いさせて頂いて少しは面識も出来たのですが・・・。しかし残念ながら、オトナの事情か何なのか、真心はうちの会社では無くなったのです。以降、たまにイベントやらでお会いしたりはする感じが続きました。中でもチキンジョージでブッキングした“SUPER JUNKY MONKEY”との対バンは最高の思い出になりました。

 他、印象的だったのがフィッシュマンズが日比谷の野音で「闘魂」というイベントをやった時に、(そのタイトルのみで猪木バカの僕は東京に足を運んだのですが)そこに真心さんも出ていて、ライブ中にフッと見るとYUKIちゃんが客席で見ていたのです。「なーんだ、YUKIちゃんも猪木ファンなのかぁ」と思いきや、真心ファンだったよーで。終わってキングさんと挨拶していたのです。同じグループ事務所なのになんかかしこまってるなぁ・・・と、思いきや、まさか結婚されるなんて・・・想像も出来ませんでした。「思いきや」の連続なのであります。

 年は僕より1個上なのですが、実際は凄く「兄さん」に見えます。落ち着いてるからなのか、雑学から教養から物知りなのと、笑いのセンスが長けてるのと、どこか達観してるのと・・・何を切っても1歳上どころじゃない、人として男としてどーしようもない距離を感じるのです。YUKIちゃん見る目あるなぁ・・・・。

 2年前OTODAMA初開催の時に、トリで僕らなりのBO GUMBOSバンドを組ませて頂いたのですが。基本はその年、発売されたBO GUMBOSトリビュートアルバムに参加されたボーカリストの方に歌って貰って、YUKIちゃんにも出演とトリのBO GUMBOSで1曲歌って頂けました。そん時に、YO-KINGさんも泉大津に来てくれて、1日イベント見てくれたんですね。キングさんもBO GUMBOSトリビュートに参加してらっしゃったので、主催者としてはせっかくお越し頂いて「お茶」の代わりに「ギター」でも差し出して、「ま、ま、そー言わずに1曲!」と、手をこまねきたくなるものの、その時は事情があってステージの上に立って貰うことが結局出来なくて、申し訳ない気持ちというか、「お茶も出せんかったよ・・・」という情けない気持ち。ところがその1ヶ月後に別イベントでキングさんに会ったら、いたくOTODAMAのことを褒めてくれて、とても嬉しかったのです。「残念な気持ち」と「嬉しい気持ち」があいまみえたこの時、既に「次タイミングが合えば、OTODAMAに出て欲しい!」と思いました。2年越し、やっと念願叶いました!

 それ以来、僕にあったら「おぅ!おんせん!!」と、気軽に小バカにしながら呼んでくれるのです。バカにされながら「素敵な兄さん」にイジって貰えて、ちょっと嬉しがってる僕が居ます。

 3ピースのお手本とも言えるYO-KINGバンド。去年、キングさんは真心でもロックロックでフェニックスには立ってますが、この3Pでも、僕は見たかったので本望です。ひとつだけ申し訳ないのが、去年のロックロックは1番目で、今年は2番目で・・・炎天下の中ほんとすいません。オトナの事情・・・は別に無いのですが。早めに出番終えられて、2年前みたくお酒飲んで、1日楽しんで頂けて、打ち上げで「今年もイイ、イベントだったなぁ」と言って貰えるよーに、頑張りたいと思います。「日々とポップス」聴きながら、今日も泉大津に打合せにいきやす。

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2007年7月22日 (日)

KBS京都ラジオで、OTODAMAコーナー

 毎週日曜午後1時半からKBS京都で音泉大好きDJ・伊舞なおみさんがお送りされている番組内で毎週OTODAMA出演アーティストがコメントをくれています。題して「かもん!おとだま」http://www.kbs-kyoto.co.jp/radio/medal/

 今後も予定は、7/29→THE BACK HORN、8/5→マキシマム ザ ホルモン、8/12→スネオヘアー、8/19→SCOOBIE DO

です。

毎回15時頃のOA予定です。京都地区の方是非チェックしてください。

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2007年7月19日 (木)

エコとイベント

 丸1日泉大津で打合せをしました。

 バス会社→警察署→消防署→青年会議所→夕方からナイター灯の設置場所確認などなど。

 一昨年から、僕らは「ゴミの分別と回収」に関して泉大津青年会議所の皆さんによるボランティアスタッフの方々にご協力頂いてます。音楽好きなスタッフの皆さんが賛同頂いて無償でイベントを一緒に作ってくれています。

 今、全国の夏のイベントでさまざまな形で「資源」に関する啓蒙が行われています。詳しく勉強したわけではないのですが、僕はイベントの時も普段の生活でも分け隔てなく、人が「分別」や「環境」について考えれるようになればステキかと思います。こういったイベントが、そんなことを日常的に考える「きっかけ」みたいなものになればいいのではとも思います。

 「来た時よりも美しく」は当日の「理想」で「前提」でもありますが、その日だけでなくて、継続した考え方の要素になれば理想でないでしょうか。

 矛盾するのは「ゴミ」と「排気ガス」を出さないことが目的ならば、「こんな野外イベントはやらない方が良い」事実です。少なからず、ゴミも排気ガスも出してしまいますし・・・。だから、それを全面的に僕らはうたえませんが、プラスになる何かを残さないといけないとは思っています。まずは、当日のゴミの分別がその第一歩になればと。

 

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2007年7月18日 (水)

順番発表

 正確な時間はまだですが順番をHPで発表させて頂きました。

 詳しい時間は8月頭に発表出来ると思います。

 ちなみに「大浴場」と「露天風呂」は時間はかぶらないようになっています。「その気」になれば全てのアーティストを見ることが出来ますが、「その気」になると必ず救急車のお世話になりますから、くれぐれもご自愛ください。

 もっとちなみにRGさんは、男湯の立命館大学時代「プロレス同好会」のつて。(同じサークルに新日本プロレスの棚橋選手、サークルは関係ないですが同期には「くるり」の皆さんもいて、やはり立命館はアツイ!)何が行われるかは、僕も良く解りませんが・・・失笑の渦になることを祈りつつ。

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2007年7月15日 (日)

京都大作戦・・・

  OTODAMAとは違うのですが、10FEETの10周年入魂イベント「京都大作戦」が中止になってしまった。

 僕は、直接ナニをしていたわけでも無いので全く何も言える立場にはいないのですが・・・中止に関しては断腸の思いだったんだろうと思います。

 「10周年」で「野外」で「京都」と考えると、もう二度と無いわけで。。。。まして今回はメンバーが自らブッキングして、地元開催にこぎつけて・・・。

 野外がハイリスクなのは正にここにあります。

 天候。

 当日が晴れても、2、3日前に台風がきてステージなどの設営が遅れて開催出来ないこともあり得ますから、数日前からの天気も非常にポイント。

 10FEETの皆さんは、是非この憤りを次回に10倍返しして欲しいもんです。

最大限期待!

 

 

 

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2007年7月 5日 (木)

「空気感」について

 僕が色んなイベントを見て、「これはイイ!」と思えた雰囲気というか空気というか・・・なんか感覚的なことなので上手く言えませんが。参考にしたイベントが三つあります。

 ひとつはフジロック(特にフィールドオブヘブン)です。「なんなん、このユルさとピースフルな感じ!」と思って、ヘブンなぞは敷地の一番奥にあるのも手伝って(今はオレンジコートが一番奥ですが)帰って来れなくなったぐらい、人をダメにする場所。正に音楽付けの非現実空間。3日目にはその音楽さえどうでも良くなるほどダメ人間になってしまう、働きすぎで遊び方を知らない日本人に対しての啓蒙的なイベントだと思いました。そして一方でフジは出演者の皆さんがステキであり、お客さんの自主性や成熟度も含め、全てが好きです。今も、時間があれば毎年通っています。

 二つ目はライジングサン。邦楽だけで、それも北海道でやる意味が毎年感じれて好きです。フィッシュマンズ見に行った一回だけですが、北海道の自然と、キャスティングの妙と、1泊2日のはかなさと・・・なんか日本の良いとこどりばかりで、日本人にしか出来ないフェスティバルだと思うのです。

 三つ目は、地元大阪の春一番。何が良いって、大阪でしかあり得ない「マイノリティ」加減だったり、情と熱意にかられた「意地」だったり、遊び心を忘れない「子供心」だったり。そして何よりも日本一「お客さんと出演者の距離感が無いイベント」だと思うのです。客席と楽屋の敷居が無い、対等のイベント。ステキな演奏には拍手を、しょっぱい演奏にはヤジを、ステージからもお客さんに対して罵声?を(笑)。とにかく、どっちかがエライという、封建的な日本のライブ会場の悪しき、かつありがちな雰囲気が無くて、フラットなんですね。この対等さは平和につながって、人に優しくなれます。

 来て頂いた方は何となく解って頂けるかもしれませんが、実際過去のOTODAMA出演者の皆さんは、自分の演奏以外は客席でお客さんと一緒に他のアーティストのライブを見てる場合が多いです。客席に行けない人(囲まれたりして、迷惑かけるのを自覚してる方)もステージ袖で他のバンドの演奏を見てることが多いです。例えば、民生さんなんかもふと気付くと結構舞台袖で見ていることが多くて、逆に感心させられます。これは、主催車としては凄く嬉しいことなんですね。僕らが好きなバンドをお客さんと他のバンドにも気に入って貰えるのは幸せ。そこで刺激しあったり、一緒にコラボに発展したり、活性するきっかけになったりしたらもう最高です。(実際「SINGER SONGER」なんかはRUSH BALLで「くるり」と「Cocco」が同じ日に出たことがきっかけになりました)

 「お客さん」と「スタッフ」と「出演者」の皆さんが3者とも横並びで「楽しい!」に越したこと無いですよね。欲を言うと警備員さんやアルバイトの係り員の皆さん、焼きそば焼いてるオバちゃんもライブ見て楽しんで欲しいのですが・・・仕事にならないので微妙なとこです。まま、その辺のおおもとの考え方は「春一番」に影響されてます、僕は。大阪でこの仕事やる以上、心のどっかに残しておきたいちょっとした地元民の「プライド」のようなイベントです。

 なんかネタバラシみたいですが・・・、ただこの「雰囲気」はいったいどうやったら具体的に出せるかが実は解らないのも確かです。目標を持って、目先のことを何が「必要」で何が「無駄」か、一個々選んでいって当日迎えるしか無いんですけど、抜本的に「コレしたらバッチリ!」という答えは全然解りません。わかんないけど、目指したいと思います。そして最終的に当日雰囲気を作って頂くのは「アーティスト」であり「お客さん」であると、人ごとのように思うのも本音です。実際当日はこの規模になると何も出来ないので・・・はい、だから当日まで頑張ります。

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2007年7月 4日 (水)

キャスティングについて

  よく言うことなのですが「イベントに出演して頂けるか・否か」は「タイミング」の一言につきます。こちらが熱望しても、先方から「出たい」と言って頂いても、お互いのタイミングが合わないと決定には至りません。今回も、お願いしましたがダメだった方、逆に相談して頂きながらお断りさせて頂いた方・・・色々ありました。でも、それはちょっとしたタイミングのズレが殆どなので、また違う形でご一緒出来ればと思っています。まだまだ先は長いですから。

 更に突っ込んで、このイベントに関して僕らとしては「この日」「この場所」で「演奏して頂くこと」にそれぞれ「意味がある」と思える皆さんをお誘いしました。「意味」とはお客さんにも解る、例えば「今年が20周年のバンドである」とか(大木さんのことですね)、プレイベント「発掘!想う壺音泉!」でベストアクトに選ばれたりとか(これも大木さんと言います)、世間的な盛り上がりとかだったりもしますし、僕らにしか解らないちょっとしたエゴや、どうしようもない情や、圧倒的なライブを見せつけられたことだったり・・・etc、それぞれに理由はあります。

 キャスティングの主軸は、音泉の基本的な考え方でもある「ライブを主たる活動にしてるアーティスト」であり、そしてその普段のライブが、そのアーティスト(バンド)しか出来ないライブを見せてくれる人になります。

 そこに前述した要素を加えて、ほぼ独断でラインナップして、それをお客さんに「この人、絶対面白いから見てください!」というのが、OTODAMAです。学園祭の精神に近いです。「これいいから友達に見せたい!」的な・・・素人丸出しです。

 だからお金やスペース的な問題もあるのですが、所謂「複数のステージで同時進行」するようなイベントは僕らとしては今のとこやっていないし出来ないです。実際、他の夏フェスに行ったらタイムテーブルとにらめっこして「この時間はこのステージで、この時間はここに移動して・・・あ、でもここ見たいバンドかぶってるやん!」という、悔しがりつつ楽しんでるみたいな、ベタな楽しみ方も好きですし、全然肯定派です。でも、いざ自分が主催車側にまわった時に「この人をお客さんに絶対見て欲しい!」という発想を持ちながら、複数のライブを同時進行するのはアーティストに対して、今の僕らは出来ないです。どっちかに、若しくは双方に申し訳ないのです。だから、売れていようがいまいが、ブサイクだろうがオトコマエだろうが、ライブとしては横一線で同じプレゼンの仕方をしたいと思っています。

 今年はしかし、ステージの大きさに差が出来てしまいました。これは当初予定に無かったのですが・・・やはり「もう1ステージ作りたい」と思い、さまざまな制約の中で作ることにしました。それが「露天風呂」です。でも、こちらとしての「愛情」は「大浴場」も「露天風呂」も全く変わらないつもりです。皆さんに見て頂きたい気持ちは同じです。

 そんな「目」で、これから発表されるタイムスケジュールや、当日見て頂けると僕らとしては本望です。

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2007年7月 3日 (火)

FM802でコーナーできました

 FM802の「ソニックスタイル(http://funky802.com/sonicstyle/index.php)」毎週火曜の22時台前半にOTODAMA`07のコーナーを作って頂けることになりました。毎週、僕か男湯が喋ってしまいます。1回目の昨日は、男湯と二人で掛け合い。収録だったので、僕「今、フェニックスは子バッタがいて・・・」男湯「バッタFUCK!」とか、放送出来ないことを連発。彼はテンション上がると全ての思考回路が「プロレス」になってしまうので、悪役レスラーのTVインタビューみたいなキャラクターになってしまいます。ディレクターのH岡さんも「プロレス命」なのでプロレスネタが満載になりそうです。果たしてそんなことでイベントの宣伝になるのか?甚だ疑問ですが・・・ちょっと楽しみ。そのコーナーのあとに偶然UAが生ゲストだったのですが間一髪、アホアホトークを聴かれなくてセーフ。

 1回目で打ち切りか、と思ったら8月の末まで続けて頂けるとのこと。暴挙に出るなぁ。このことといい、Coccoのレギュラーと言い、・・・なんて逸脱したFM局なんでしょう。ますます愛してしまいます。そそ、Coccoのレギュラーも今週金曜から始まります。そちらも・・・というか、そちらの方こそ是非宜しくです!

 今、イベント的にはこんなこと含め、宣伝真っ最中。放送局の皆さん、レコード店さん、雑誌の皆さん、プレイガイドの皆さんに協力して頂いてます。もうすぐ、本チラシとポスターも出来ます。(おそっ!)キャスティングが全部告知出来てから作ったので、遅れてしまいました。タイムスケジュールまもなく発表できそです。

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