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2011年8月 9日 (火)

解説「ジャンピング乾杯」とは・・・

 知られてるようで一部の人しか知られていない、1年前は悪夢のような出来事・・・今となっては笑い話となって語られている「ジャンピング乾杯」。

  Tシャツ作ってデザインの人気投票までHPで始めてしまったのですが、、、、結構身内ノリなんで「なんのこっちゃ?」とキョトンとしているアナタにとぉとぉこの「日本のロック史」に残る出来事を話さねばならぬ日が来てしまいました・・・・。

 それは昨年のOTODAMA打上げでの出来事。イベントも初めて盛況に終わり事故もなく終了!大阪市内某所で行われていた恒例の打上げに僕が遅れて着いた時にはその事態は既に起こっていた。

 打上げ会場の外の廊下の椅子にフラカン小西君が座って人だかりが出来ている。

 「どしたの?」と近寄ってみると腫れた足を押さえて(グレート曰く)「なでしこジャパン澤選手そっくりの顔」が苦痛にゆがみながらも持ち前の気遣いでひきつった笑顔で「だいじょうぶです~」と。全然大丈夫じゃないやん!ってことで病院に搬送。

 小西君が居なくなったあと聞いたら怒髪天・増子兄ぃが「ジャンピング乾杯」という、要は宴会場のステージ(高さ約1m)からグラス片手にジャンプしながら乾杯→着地の時点でグラスのビールを頭からかぶる、という全く何も生まれない一芸を編み出し、それを繰り返しながら小西君と肩を抱き合いながらジャンプした結果、小西君着地失敗、見事(見事じゃない)病院送りになる結末になったのでありました。

 それを聞いてブルーになりながら宴会場に入ったところ、増子台風の勢いは全く衰えておらず、引き続き絶好調!僕もジャンピング乾杯をやらされましたが見事着地成功、その後「フライングニージャンピング乾杯」(プロレスのジャンピングニーキックを応用。ジャンプしながら膝をグラスにあて→その勢いでグラスのビールが宙に舞い→着地でかぶる、という難易度Aながらますますな~んも生まれない必殺技)等に発展し、増子ワールド一色でダメなオトナの宴は進んでいったのでした。

 しばらくすると小西君骨折の情報が・・・フラカンはその後ツアーが決まっている、、、わー!どうしようって話しになりながら、オモシロかったのは(オモシロがってはいけない)クハラカズユキさん所属事務所の面々が「社員旅行とマチガエてんじゃないの?」ってくらい関係無い人がいっぱい居て(この場を借りて申し上げますが、、、ホントいい加減にしてください!)中にBirthdayマネージャーS君が、「その時期クハラ空いてますよ」と、なんて便利な展開に「拾う神」とはまさにこのことだと感心した(してる場合じゃない)のでした。

 元はと言えば、この「イベントは3年連続では出れない」制約を僕らが作っていて、去年フラカンは丁度出れない年。でもいっつも出演しなくても来てくれるので、なんか一緒に遊びたいという心境で「キャスティング第一弾発表を“打上げの司会・ミスター小西”にしたらオモロいなぁ」、、、って僕らの悪ふざけが発端。まじめな小西君は打上げで多分頑張ろうとしてくれたのだと察しますが、増子先生には当然勝てず、なすがまま肩を組まれ、ジャンプした瞬間こんなことになってしまった、、、というオチ(オチって言うな)に。当初はとても責任を感じましたが、結果的に年内に奇跡の復活、トラで叩いてくれたクハラさんとサンコンさんのおかげでバンドの底上げ、小西君も充電期間に底上げ、トータルでフラカンのバンドとしての力量が上がったのと、自ら「カルシウムTシャツ」って骨折ネタのTシャツ(これも逸品!)をツアーグッズに投入。正に「マイナスをプラスに変えるA・猪木の“風車の理論”」。僕もそんな状況にいささか安堵し、「よし!負けてらんない、来年のOTODAMAは“ジャンピング乾杯Tシャツ”作って増子さん小西君とひと儲けだー!ぐふふ」とヨコシマ音泉になっていたのですが、今年3月の震災を期に心境が変わって「義援金にさせて頂こう」と思った次第なのでした。

 というのが、かいつまんでの物語。あとはグ○コさんに怒られなければ当日発売できると思いますから皆さんこのネット社会、投票はOKですがリークは無しで宜しくお願いします。因みに僕は2番に一票!(番台) 

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